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No.76 「正見 ということ」 (2010.12.15)

正見とは、仏教の用語で「しょうけん」と読みます。字のごとく物事の本質を正しく見ることを
指します。これが深い!本当に難しい。

正見は八正道(はっしょうどう)というお釈迦さまが最初の説法において説いたとされてます。
涅槃(成仏の姿)に至る修行の基本を8つに分けて説明しているものです。

正見(真実を見る。真理を悟り、掴む。これを八正道の基本としていると思う)、正思惟(正
しい考え方=仏法としての考え方で、欲を捨て、苦を知る考え方)正語(正しい言葉。言葉
を正しい意味として表現することだと思います)、正業(業が深いよねぇーあの人は・・・の
業でしょう。欲に執着した行動正思惟の欲を捨てるの考え方を実践する行動)正命(命は生
活というか、こころの持ち方を表現しているのかな?・・正業が行動に対して、正命は、自
然の流れの調和を意味するような感じであると思う)正精進(これは、正しい精進、修行をす
ること・・・)正念(難しいけれども心というものを少し物理的に捉えているのであると思いま
す。心は見えないけど、人の目には捉えられない物質である=空気みたいなもの・・として
表現してるのではと思う。性根が曲がっているとか性根を鍛えるとか・・字が違いますが、心
を表現している。そのような正しい心で自分の身体をコントロールすること)正定(正しい心を
安定させる事…だと思う)

正思惟(頭)、正語(口、耳)、正業(行動、体)とここまでがどちらかというと基本的な身
体の機能や機能により「感じる」部分を表現しているように思います。自分の身体で苦を感じ
る部分であり、自分の頭で考え、体を行動に移す部分。
当然仏教では、いわば娑婆(しゃば。今の我々の世界)で、良いおこないすることを勧めて
います。もしくは、そのような事を実践している人を指しています。(…と思う)そして、その
実践をしている人(良い考えを持ち、良い言葉で良いおこないをしている人)は、生活も自然
と調和していくもの(正命)で、少しづつ悟りを開いていきます。そのような人が正しい精進
(正精進)を実践すると、正念という素晴らしい心が芽生えてくる。
本来、人が自分の身体に縛られている限り、仏教でいう、生病老死の苦からは逃れられない。
しかし、人には心がある。動物にも心があるとは思いますが、人ほど複雑ではないでしょう。
魚や昆虫、鳥などは、本能的な機能に操られているようにしか見えません。
何か、特別な意思があって動いているとは思いづらい。それが、象やライオンになっても、
基本は本能的な自分自身の身体の機能にコントロールされているにすぎないと思います。
しかし、人間は、心の働きが中心とすべきである。正思惟のいう欲(食欲、物欲、性欲等)
は、身体を持っているから生まれるもので、身体にコントロールされている限り、正思惟の考
えには遠い存在となります。つまり、動物的であるこということ(笑)
動物的に本能にコントロールされるのではなく、自分の心で身体をコントロールすることで、心
を育てていきます。それが正念(心)であると思います。その正念を維持することが、やっと
正見に繋がるのではないかと思います。
 
正しい考えを持って(正思惟)、言動を慎むと(正語)、正しい行動ができるにようになる
(正業)。それを実践していくと、ごく普通に、自然と生活し調和できるようになる(正命)。そ
れは、野生的に自分の身体に心がコントロールされるのではなく、人として心を中心に身体を
コントロールしていることとなる(正念)それが常に安定して継続できる(正定)ようになるとと
やっと「正見」=「正しく物が見れるようになり、涅槃に近づく」と言うことになるそうです。
 
遠いぞ正見。デブな私は食欲(身体の欲求に)に心が負けており、なかなか心を育てること
ができないようです。

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