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No.72 「わびさび」 (2010.10.5)

裏見せて
 表を見せて
  散るもみじ

良寛の時世の句と呼ばれています。40歳以上離れた貞心尼の前で、
危篤の床についた時に、うたわれた言葉と言われています。
良寛は、ご存知の通り、江戸後期の僧侶です。目の前の自然と戯れて、
そのものの生き方を詩にしています。その表現は、私には拙くて
できませんが、山や川や人の自然の摂理や時間そのものをも表現する
ような素晴らしさがあります。

今年は、とても暑い夏を過ごしました。季節感も強烈な変化が普通になって
きてしまっています。暑いと徹底的に暑く、雨が降ると徹底的に降る。
「ちょっと待ってよ。」と言いたくなる。
季節感くらいは、ゆったりとした時の上で、感じたいなと思います。

四季を感じ、その折々の時間の中で物思う時に『わびさび』を感じる。
季節は、人としての厚みを作るものでもあると思いますので、時間は、ゆっくりと
動いて欲しいと思います。

良寛は曹洞宗に属し道元の『正法眼蔵』の章を読み砕いて、その内容を自分の体の
一部として吸収し、それを詩として目の前の自然と自分の言葉で表現しています。
良寛が修業をしたと言われる円通寺 曹洞宗は、禅を組み、自らが悟りを
開く、「自力(自力という言葉が、あいまいですので、表現が難しいのですが
自ら座を組み、厳しい修行をするものと表現してみました)」を主としている宗派と
言われています。仏教の教えは、宇宙の真理を理解することですから、それを
自ら座をして、悟りを開くには、恐ろしいほどの精神統一が必要だったことでしょう。

前述の『正法眼蔵』は、哲学的であり、その読みこなしは、専門の先生でなけれ
ば、なかなか読み込めるものではありません。私には、良くわかりません(笑)
ただ、自力と他力には隔たりがあるように思われるのが通常です。一般的に食事等の
普段の生活にも厳しい戒律のある曹洞宗においても、良寛は、自由に振舞ったと言われて
います。
良寛の句にはこのようなものもあります。

 良寛に
  時世あるかと
   人問はば、

  南無阿弥陀仏と
   言ふと答えよ

南無阿弥陀仏は、浄土宗や浄土真宗の表現であり、他力を中心とした言葉です。
南無阿弥陀仏を唱えれば、誰もが極楽にいけるという考え方で、厳しい戒律があり
悟りを開く曹洞宗とは考え方は違います。

なぜ、宗派を超えて、このような詩を残したのかは、色々と考え方があるようですが
教えが多くあっても、仏の道は一つであることを伝えたかったのではないかと思います。

散る桜
 残る桜も
  散る桜

 わびさびって良いなと思います。9月はお月さんがきれいです。

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