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■No.030 : オヤジの小言 (2004/10/01)

インターネット時代になっても、過去受け継がれてきた言葉は大事にしなくてはならないと思います。親父の小言は、社会性を帯びていました。

・「大酒飲むな
・「借りては使うな
・「博打は打つな
・「身分相当にしろ
・「嫁は早くもらえ
・「恩は遠くから返せ」…

子供の教育について、私は本当に自信を持って話をできる立場ではまったくありませんし、現在の社会から見たら、私は父親失格の状況と言われても仕方ないくらいに、子供に時間を使っていません。
そのような後ろめたさを持ちながらも、無意味に威厳を保ちたいと思っています(笑)
昔のオヤジ連中だって、やたらオヤジとして自信があったわけではないと思います。
特に大した自信なんて無かったにもかかわらず、何かを伝えなくてはならない強い責任感から、自らを奮い起こして子供に「小言」を伝えているのではないでしょうか?
自信が無いから、また、「たいした人間じゃないから」という言い訳で、子供に何も教えられないというのでは、人は育ちませんし、自分も立場を作れません。

威厳を大事にする「オヤジの小言」みたいな言葉は、極一般的でありながら、どこの親にも通じる何か社会的な倫理観があったと思います。

「自分や人を傷つけない」ことを前提に、単に「強くなって欲しい」という気持ちが滲み出ていました。
誰でも受け入れやすいストレートな表現で、言葉の裏の意味も良く理解できました。

「金持ちになれ」などの自分中心の言葉は、あまり「オヤジの小言」には似つかわしくありません。
ましてや「世界の中心で愛を叫べ」などと、自分のことを中心とした表現を言うはずもないのです。
「オヤジの小言」にはもっと大義名分がありました。

昔と今の違いは、アルバイトが圧倒的に増えていることであると思います。
自分で生活費を稼ぐような高校生もいるかもしれません。
そのような状況では、なかなか「オヤジの小言」も通用してこないのでしょう。
「誰に食わしてもらっているとおもっているんだ!」という殺し文句が言えず、「大黒柱」としての威厳が失墜しつつあるのだと思います。

さらに威厳の失墜に拍車がかかっているのは、消費者金融であると思っています。
「借りて使うな」なる言葉は完全に崩壊しつつあります。
これだけ毎日CMが流れると、お金を借りる事の抵抗感は麻痺するでしょう。
ましてや、小言を言う立場の人間が「借りて使っている」のが実情です。
もちろん、「借りて使うな」の意味は、「借りて贅沢するな」ということであると思いますが…。

最近の小売業においては、アルバイト比率が90%というような店舗もあります。
そのような店舗での社内不正が後を立ちません。
簡単にお金を借りられるようになった結果、返済に困り、最後には、犯罪に繋がっていると私は思っています。

以前に友人とのお酒の席で、「大学でお金の借り方を説明すべきではないか?」と私が話をしたら、「それは親の問題だ!」と一蹴されてしまったことがあります。
ただ、今の現状を見ていると、新社会人に対し、「会社がお金の借り方、返し方を教えるべき」であると感じています。

オヤジの小言が「社長の小言」に変わるかどうかは分かりませんが、世のお父さんは無意味に威厳を持って欲しいものです。
父の威厳に意味などなく、まったく主体的な考えでいいのです。
大義をもって威張ればいいのです。

昔、生意気でオヤジの話を聴かない私に 「冷酒とオヤジの小言は後で利くんだ」と自分で言っていた(笑)父が懐かしく思います。

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■No.029 : 価値ある情報は自分で決められる (2004/08/31)

以前、サブロー通信No.17でご案内しましたが、P・F・ドラッカー著「明日を支配するもの」の中で、「世の中には、読み手と聞き手がいること」を理解するように諭しています。

物事の判断を受け入れやすい方法として、「耳で聴く人(タイプ)」と、「文字を読んで判断する人(タイプ)」と二通りがあるということです。

しかも問題は、右利きと左利きがいるように、どちらかが必ず強く反映しているにも関わらず、ほとんどの人が、自分がどちらが強いのかを意識していないことであるそうです。

私自身は、目で判断をする方が強いと感じています。
強いと思える基準は、情報に対して直ぐに行動に移せるか?で判断しています。

例えば、ある新聞の記事を会社の者が見て、「非常に興味深いことなので」と私に報告してくれても、口頭で説明をされた場合は「へー」で終わってしまうこともあります。
しかしながら、口頭で説明されたものと全く同じ記事を、活字として自分の目で見ると、「居ても立っても居られない」状態になり、その記事の内容の確認をするため、新聞社や掲載された会社に問い合わせの電話をしてしまったり(笑)することがあります。

「情報」は、以前にも書きましたが、「情に報いる」ことが大事なことですので、情報を得たら先ずは行動することが必要です。
自分にとってその判断ができる聴き方・見方を知ってる事は、非常に重要な要素となります。
情報を得ても、動きがとれなければ、直ぐに陳腐化してしまう情報もあります。
情報は大事な経営の資源であり、状況・成長のステージ、ポジションに応じた管理と行動指針が必要です。
もちろん情報なるものは、誰もが同じように使えるものではなく、人によって全く無価値な場合もあるのです。

世の中には、ちょっとしたことで「閃き」を感じ、莫大な富を得る人がいますが、これは突然「閃く」のではなく、常に何かを考え、何かを求めている人であるからだと思います。
常に求めているものがあり、その部分の意識が枯渇して、喉が「カラカラに乾いている」ようにアイデアを渇望し、数百・数千の仮説を頭の中で唱えています。
そのような状態ですと、一般的には本当に「ごく当たり前のこと」を見ているにも関わらず、「枯渇している人」にとっては、今まで足りなかったジグゾーパズルの「ピース(一部)」が目の前に落ちてきたかのように、謎を解き明かす「閃き」に変わるのでしょう。

逆に、全く閃きが無い人もいます。
全く行動をする意思が無い人は、どんなに素晴らしい情報を耳で聞いても、目で見ても、全く「心に響かない人」は、どんなに才能があっても成功しないような気がします。
私のような何も考えていない者は、やっぱり「へー」で終わってしまいます。

何も考えてない人には、どんなに情報を与えても駄目です。
視覚で訴えても、聴覚で危機感を煽っても駄目です。
何も考えていない人に判断を任せることほど、意味のないことはありません。
彼らは「判断」をするのではなく、「指示を待つ」だけです。

ちょっとした情報で目をキラキラさせ、多くの人に「なんかやりそうだな!!」と思わせる人は、本当に成長をするのだろうと思います。

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■No.028 : 骨を埋める覚悟 (2004/08/02)

野球をしてきたものからすると、プロ野球の売却問題は一家言ある(笑)

プロ野球がFA(フリーエージェント)制を導入したのは、1993年からで、第一号は中日にいた落合博満氏が巨人に移籍したものであると思います。

このFA制に反対をされていたのが、野球殿堂入り(2002年)もされている故アイク生原さんでした。
早稲田大学野球部の大先輩のお話をするのは、私などでは身分不相応といったところなのですが、本当に簡単なプロフィールだけご紹介しますと、アイク生原こと生原昭宏さんは、早稲田大学を卒業後、社会人野球に入団。
その後、当時東都の三部だった亜細亜大学の監督に迎えられ一部昇格を果たし、大リーグ勉強のため当時読売巨人オーナーであった故鈴木惣太郎さんの門を叩き、一枚の紹介状を胸に渡米されました。

渡米後はドジャースのファームで下積みをし、やがてドジャースのオーナーのピーター・オマリー氏の右腕として、本当になくてはならない存在になります。
アイクさんも生きる全ての情熱をドジャースに捧げました。
また、ドジャースでご活躍をされる一方で、閉鎖的な日本のプロ野球とアメリカ野球の架け橋となり、プロ野球の日米交流、日米大学野球など、日本のプレーヤーのアメリカでの多くのチャンスを生み出しました。
アイクさんがいなければ、今のような大リーグで活躍する選手がでてくることは、10年以上遅れていたでしょうし、日本のプロ野球そのものが遅れていたかもしれません。

1992年10月26日、55歳の若さで亡くなられましたが、ドジャースの地ロサンゼルスに、まさに「骨」を埋められています。
そのアイク生原さんが、FA制度についてお話をされているのをたまたまテレビで見たことがありますが、激しく反対されていました。
「なぜ、アメリカという失敗の事例があるのに、日本はそれをおこなうのか?」というような内容でした。
かなり前の話でしたので、具体的な内容まで覚えていないのですが、今の日本の現状である経済的な理由を述べていたと思います。
アイクさんは、現在の日本の状況を予見していたのかもしれません。

FA制は選手の給与を急激に押し上げることにもなりましたが、反面、寿命を短くしていることも事実です。
ピークを越してしまった選手を、長く雇い入れておくことができません。
体力の無い企業が消えていくのも当たり前です。
大リーグやサッカーのような世界的な規模の経営センスが無ければ、高額年俸が払えず経営が難しい領域に達しています。
しかしながら、プロ野球は何十万人もの人を毎日のように集められ、しかも、TVや新聞の放映で何百、何千万もの人に毎日情報を提供している日本最大のエンテーテインメントコンテンツであることは間違いなく、これを衰退させてしまった経営陣の罪は重いと思います。

日本の企業でも、数年前に社内FA制度なるものが流行りました。
その成果がいかほどのものかは私は分かりませんが、予想するに日本のサラリーマン社会の中でプロになり切れず、また、大人になり切れない人が、単に「我慢 ができないから」社内FAを活用した程度であると予想します。(もちろん良い人材の交流も少しはあったと思いますが)

お金は大事なものでありますし、弊社もインセンティブ制度を敷いていくつもりです。
しかしながら、本当のプロは、自分の実力を知り、自分の役割を実行し、自分の能力を追求するものであると思います。
実力も知らずに、転職を繰り返すものとは違います。

自分のやりたいものがある!とか、以前からやりたい仕事でした!などという人間は、本当に信用はできないと思います。やりたい仕事があるのであれば、最初からそれをやっていればいい。
本当に「骨を埋める」つもりで賭けて見ればいいと思います。
「自分のやりたい仕事」などと、最初からヤドカリが自分の家を探すような輩の話ではなく、自分の手で家を造ったり、夢を育てたりして何かを生み出し、自分自身を表現することを前提にすることが、転職には必要です。
お金も大事ですが、何か心を継ぎ合わせあうことができる触れ合いを見出したい。
それは、「やりたい仕事」などとと言うような人には見つけることができません。
「自分の内なる気持ち」を見つめられる人にしか芽生えない感情であると思います。

安易な転職を繰り返すのではなく、「骨を埋める」ような出会いがあることが人生を楽しくするのではないでしょうか?

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■No.027 : 夢を持ち、夢を語り合おう(夢がなくなる時) (2004/06/30)

お取引先の方に、「夢を書かせるセミナー」というものをやっているとお聴きし、これは面白いと思い、早速社員に「夢を書いてみよう」とホワイトボードに社員の名前だけを入れて、自分の夢を書かせるようにしました。

「いつ書いてもいいので、思いつくままに書いてみてくれ」と言っておきました。

弊社はこの小さな世帯に、20代~60代までいる幅広い組織で、感覚的には人それぞれで面白い。

夢を書いて、と言って直ぐに書けるのは、20代、30代でした。
恥ずかしがらなければ、結構直ぐに書ける。
家が欲しい、自動車が欲しい…。
ところが40歳代になると、突然、考えても夢が出てこないことが多くなるようです。

弊社は4年目の会社ですから、当然、ほぼ全員転職をしてきています。
特に40代以上は、それなりの大手の小売業の出身者で、持ち家、自動車等の一般的に欲しいと言われているものを、所有している人が多いのです。
それゆえ、書けるものが少なくなってしまうのかもしれません。

アブラハム・マズロー(1908年~1970年 A.H.Maslow アメリカの心理学者)は、彼が唱えた欲求段階説の中で、人間の欲求は、5段階のピラミッドのようになっていて、底辺から、1段階目の欲求が満たされると、1段階上の欲求を志すという心理学を説いています。
一番下が「1.生理的欲求」、順番に「2.安全への欲求」、「3.社会的欲求」、「4.人から尊敬されたいという欲求」、最上段が「5.自己実現の欲求」となるそうです。
生理的欲求と安全の欲求は、人間が生きる上での衣食住等の根本的な欲求です。
つまり、「上記の夢を書いてみよう」と言う中では、自動車、家が欲しいというのは、最低限の本能的な部分と言えると思います。
40代で夢が書けないということは、次ステップに上がらなければいけないというこでしょうか?!

「社会的欲求」とは、他人と関りたい、他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求で、「人から尊敬されたいという欲求」は、自分が集団から価値ある存在 と認められ、尊敬されることを求める認知欲求のこと、そして「自己実現の欲求」とは、自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思 う欲求のことと言われています。

アブラハム・マズローの著は奥が深すぎて、分かりづらい部分が多々あるのですが、人生の経験を積んで、それぞれ、20代、30代、40代…と違う世代で読むと、その内容・奥行きも変わって見えてくるのかもしれません。

世代や環境によって、夢は変わります。

自己実現の夢を持ち、それを達成できるまで、たどり着ける人間は、ほんのわずかでしょう。
そこまで行かずに人生を終えるか、能力や気力が無くなると思われます。

私の場合、そのステップまで上がっていないので(笑)分かりませんが、夢は持ち続けたいと思います。

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■No.026 : 身体的な才能と内面の努力 (2004/06/17)

私は大学まで野球をしていましたが、ホントに下手でした。(笑)

大学まで野球をしようとするような人は、本来は私のようなヘタクソが入部するのではなく、何らかの目標を持っていなければ、なかなか継続できません。
将来、プロやセミプロになって「野球でめしを食う」とか、指導者になるとか…。
そのような目標を持っている人間にとって、身体的な才能の壁は非常につらいものになります。
生まれながらにして、肩が強く、鍛えれば150キロの速いボールを投げられるとか、100mを11秒台で走れるとか、動体視力が人並みはずれて優れているとかとか…。
残念ながら、私はどんなに努力をしても150キロのボールは投げられませんでしたし、100mを11秒台で走る能力もありませんでした。
誰もがオリンピックレベルの身体能力を持って、生まれてきているのではありません。

身体的な能力は、努力だけではカバー出来ないものもありますが、精神的な力は、壁を越えることで強くなれると信じています。

中国の兵書の一つで、「六韜(りくとう)」に下記のような将師の欠点という指摘がありました。

一、勇にはやって死を軽んずるもの
二、短気でせっかちなもの
三、欲が深くて利益を好むもの
四、仁がありすぎて、厳しさにかけるもの
五、智はあるけれども臆病なもの
六、信に過ぎて、どんな相手も軽々しく信用するもの
七、清廉であって人にもそれを要求するもの
八、智がありすぎて、決断ができないもの
九、意志が強くてなんでも自分で処理するもの
十、意志が弱くて何でも人任せにするもの

勇気や知識、人を信用する気持ちは非常に大事なものでありつつも、上に立つ人にとっては、欠点にも利点にもなるということであると思います。
これは、身体的な「持って生まれた能力」ではなく、人間的な経験値で養われるバランスであると感じます。

また、中国の戦国時代「魏」という国の宰相をつとめた李克が、皆様ご存知の下記のような人物鑑定法を記しています。

一、不遇のとき、誰と親しくしたか
二、富裕のとき、誰に与えたか
三、高位についたとき、誰を登用したか
四、窮地に陥ったとき、不正をはたらかなかったか
五、貧乏をしたとき、貪りとらなかったか

どんなに才能があっても、高学歴があったとしても、貧乏になったり窮地に陥いるようなどん底状態では、全てが平等に苦しさが押し寄せてきます。
例えば、借金を抱えているようなどん底状態では、どんなに早いボールを投げられても、ハーバードでMBAを持っていても、過去にすばらしい栄冠があったとしても、期日までに借金を返さなくてはなりません。
逆に、すばらしい経験があればあるほど、惨めであると思います。
そんな苦しい時に、本当の人としての生き方が映しだされるのでしょう。

窮地は才能に関係なく訪れる物であると思います。

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■No.025 : ビジネスモデルは「人が創る」 (2004/06/02)

ビジネスモデルという言葉を考えるにあたって、木村剛氏の「戦略経営の発想法」の本は、結構面白かった。お勧めです。

本の大半の説明が「ビジネスモデルは後知恵である」ということを説明しています。
詳細は省きますが、「理屈は後からついてくるもので、先ずやってみる。プランの通りなど上手くいかない」という考えです。

私のような駆け出しの経営者でも、本当にその通りであると感じます。
以前にも書きましたが、新しいものを作り出すサイクルは、『P(Plan)→D(Do)→C(Check)→A(Action)』とか、『Plan Do See』とか言われるプランから入るのが一般的であるとされています。先ず仮説を立てて、それを検証する流れですね。
新規事業を推進する場合は、私はこの流れは本当に間違っていると思います。

だいたい、この「プランから入る新規事業」というのは失敗します。新規のビジネスではなく、既存のビジネスを真似するのであれば、プランから入ったほうが 怪我は小さいかもしれませんが、新しいビジネスモデルを作るには、最初にビジネスモデルを作ってはいけないのです。

弊社の社員は全て転職組ですが、入社時に、新しいビジネスにチャレンジをするには、プランから入るのではなく、「Check」「Action」から入るように説明しています。

先ず市場をチェックしたら、先ず行動してしまえ!!と。
そして何度も、「Check」「Action」を繰り返した上で、本当のプランができるのです。
つまり『Check → Action → Plan → Do』の流れです。

一般的に投資家さんも含めて、「ビジネスモデル」というものを評価します。
もちろん当たり前のことで、どのような構造で利益を出しているのかを評価できなければ、投資に対するリターンが分かりません。
ただ…、発展途上の企業にとって、固まった「ビジネスモデル」などというものは、存在しないのが実情ではないでしょうか?
常に顧客や競合、社会ニーズを受け入れ、切磋琢磨し、ビジネスの形態が変化します。

変化の理由は色々とあると思いますが、本質的な理由は、経営者が現状に満足していないからであると思います。
発展途上の経営者は、現状の「儲けの仕組み」の欠点は十分に把握しているのです。
だから変化し、進化を求めます。
昆虫が脱皮するように、何度も衣を脱ぎ変えて大きくなっていくのではないのでしょうか?

本当に「ビジネスモデル」を評価される形態まで脱皮できるのは、安定した大企業になってからの話で、理想を求める経営者にとっては変化の連続のはずです。

第三者的な視線に立つと、企業評価というものは、「どのように儲けているのか?」を判断するビジネスモデルという構造が必要になるのは当たり前だと思うの ですが、反面、内側に入り経営者的な立場で「企業の成長」を見ると、ビジネスモデルなどというものは、「人が創り上げ」、「人の後に付く(つく)」もの以 外の、何ものでもないはずなのです。
それは、形式や言葉ではありません。勝手に生まれてくるものでもありません。
自らが創らなければいけないものです。

大事なことは、人を評価することです。
その人材が、変化を生み出し、企業を成長させる能力があるのかを評価することです。
その人が脱皮し、大きくなれる器があるかを評価することです。
問題を把握し、勇気を持って対峙し、全てを失ってでもその問題を解決できるまで、やり通す意思があるかです。

そんな経営者に私はなりたいと思いますし、評価されるプロの人間になりたいと思います。

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■No.024 : 情報 (2004/05/01)

情報とは「information」の訳語で、もともと日本には無かった言葉とお聞きしています。

この訳語を、日本で最初に公の場で活用したのは、「森鴎外」(森鴎外が造語にしたものではないらしい)だそうです。
誰が訳したのかは分からないのですが、それにしても「情に報いる」という言葉、よく考えると非常に面白い言葉であるように感じます。

インターネット社会になっても…というより、インターネット社会の方が、情報や「悪い噂」は「タチが悪く」、それだけで会社の経営に大きな影響を与えることが多くなりました。

悪い噂は、どんなに否定しようともついてくることで、何か人間性を全て否定しているような印象を与えることすらあります。
悪い噂が立つのは、もちろんその人に原因があるのですが、それに輪をかけて広がるのは、自分自身を数に入れずに、人を評価したがる評論家体質が「噂の輪」を広げるのであると感じています。

何か欲しいものがあれば、「自分」を数に入れて、「自分」を最初に数えますが、「評価」をする時には自分を数に入れません。
自分が数に入っていないため周りの人の意見に左右されやすく、ありもしないことが本物のように聞こえてきます。本質はどうでも良いのです。
自分のことでは無いので、安易に他人への猜疑心が生まれてしまいます。
その猜疑心が「自分の口から出る意見」となると、変えることが難しくなります。
大半の人は、自らの意見を変えることにはあまり抵抗がありませんが、変えられることには抵抗を示します。

悪いことも良いことも、どれだけ相手に対して親身に対処できるかで、それが悪い噂になったり、良い噂になったりするのではないのでしょうか?
本当に信頼をし合って、意見を言い合えるかに懸かっていると思います。

知りえた情報に対して、どれだけ真剣に対処しあえるか?
つまり、

「情に報いることができるか」

であると感じます。

悪いことを会社の上司に隠したり、報告をしないのは、本当に良くある話ですが、それは企業の体質そのもので、数十年もその会社にいると、体臭のように染み込んで自分では気づかず、拭い取れないものなのでしょう。

悪い報告が途中で途絶えてしまうのは、多分もともとは経営者の考え方そのもので、悪いことを聞きたがらないことから始まっているのかもしれません。
報告を受ける者は「情に報いる」ことを知ることが、人の話を聴く最初の第一歩であると感じます。

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■No.023 : サービスの含有量 (2004/03/31)

かなり前の新聞に「サービスの含有量」という記事が出ていました。

確かに、コンピュータ…特にゲームソフトの世界では、そのソフトの豊富さが全てでした。
コンピュータのCPUや、OSソフトの違いがほとんど無くなり、そのソフトの豊富さと操作性、楽しさが非常に大きなポイントで、それが無ければ、ハードウェアそのものが売れることはありませんでした。

現在では、ソフトウェアだけが一人歩きし、ソフトウェアだけの販売比率が大きくなってきています。
ハードウェアを売りたいがためのソフトではなく、ソフトウェアだけでその販売を推進していることは、ごく当たり前のこととなってきています。

これだけ、ソフトウェアが一般化されると、確かにこれからの企業にとって差別化や販売の工夫の仕方は、「サービスの含有量」であると感じます。

・ハードウェアに含まれるサービスの含有量
・ソフトウェアに含まれるサービスの含有量

これらを、具体性のある独立した「サービスとしての課金」できるシステムを成功させることは、非常に大きなメリットがあると感じています。

一般的には、「ハードウェアを売りたいがために作成したソフト」は非常に安価で、その価値が認められませんでした。
それと同じように、ハードウェアやソフトウェアから見るサービスの分野は、「メンテナンス」や「コールセンター」の一部として見られ、工夫をしなければ「儲からない事業」になりがちです。

サービス事業は、何かの付帯事業としてメンテナンス的な位置付けで考えると、それ単体ではビジネスモデルが作りづらく、分かりづらいものです。

ところが、一度サービスが完成され、「ある種のパッケージ」になり社会的な認知を受けると、アウトソーシングされやすい特性を持っています。
人材派遣業に代表されるサービスがその例ではないでしょうか?
ある程度の規模であれば、清掃業務や警備業務をアウトソーシングしていない企業の方が珍しくなっています。

しかもサービス事業は変化に強く、アイデアを実行できれば、差別化に富んだ面白いパッケージが構築できるものです。

私は、日本に無い独自のサービスを構築したいと思います。
このビジネスモデルは、お客様のアウトソーシングのみならず、その強い独自性からハードウェアやソフトウェアの販売企業が「サービスの含有量」を高める優 れたサービスとして、自社内に構築・含有していただき、販売を可能にする非常に有意義なサービスであると確信しています。

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■No.022 : 社内不正のポイント(金流・商流・物流) (2002/07/14)

社内不正は、金流・商流・物流の三つが重なった場合、発生しやすくなります。

金流とはお金の流れです。会社で言うと経理と考えてください。
商流は営業の流れ(バイヤー)となります。物流は物の流れです。

通常の会社であれば、営業が商談をしても(商流)、請求書は当然経理の発行になり、郵送され、入金は会社取引として口座に入ります。(金流)
そして、商品は別便で運ばれてきて、搬入されます。(物流)
この場合は、仕事が分散化されており、各々が別の部署で違う人が確認をするのですから、一般的には不正が起こりにくい仕組みなっています。

しかしながら、バイヤーが買いつけに行って、その場で商品を現金で買った場合…、これは、非常に出来心を誘う仕組みになってしまいます。
購入金額や数量、運賃も含め、バイヤーしか分かりませんから、領収書を改竄してしまうと何も分かりません。
組織が大きくなると、このような環境は少なくなるはずなのですが、各企業とも人材の省力化が進んでおり、仕事が一人の人間に集中する傾向は見られます。
特に例外的な作業には、目が行き届かず、不正の発生要因の環境を作ってしまう場合が多く見受けられます。

・臨時の商品の買い付け
(すべてを一人に任せる)

・定期的な配達業務
(配達に行き、その場で現金回収?)

・自動販売機の回収
(現金と商品を1人に任されていないか)

・EDI化された返品作業
(返品商品の作業をおこなう時に、「誰が作業をしたか」を明確にしているか?EDI化された返品作業は、誰でも箱詰めにするだけなので、商品の確認ができない。物流と商流=返品先が一体化している。大事なことは、誰がおこなっているのかを明確にすること)

POSレジで不正が起こり易いのは、現金を任せているから不正が発生するのではなく、金流(お金の受け渡し)・商流(お客様が目の前にいる)・物流(商品がある)が重なる場所だからです。
少し複雑な手口で、お金や商品を抜き取る人がいますが、これはこの環境を応用していることになります。

リサイクルショップの買取も、非常に不正が起こりやすいものです。
リサイクルショップのレジ業務は、上記の金流(お金の授受)、商流(お客様が商品を売りに来る)、物流(商品を持ってくる)がすべて重なっており、しかも、現金を扱う買取業務も全て一人のオペレーションに任されています。

不正の予防のルール化のポイントとして
・仕事を分散化する(もしくは、同じ仕事でも2名以上が確認しあえる)
・「誰が」、「いつ」おこなったのかを明確にする。

不正があると、すぐに「防犯カメラの購入」という案が出ますが、まずはお金をかけずに、ルールの徹底をおこなうべきです。
現在の社内不正の発生に際しては、不正が起こりづらい環境を整えるのが一番良いといえます。

■No.021 : 「運が良いと思う人」と「運が悪いと思う人」の違い (2004/01/26)

「自分は本当に運が良いな~」と思う人と、「自分は本当に運が悪いな~」と思う人の違いは、私は努力の深さの違いであると考えています。

人間には才能の違いはありますが、運は平等にあると信じています。

自分で「運が良いと思う人」は、本当に様々なことにチャレンジをして、本当にギリギリで成功し、本当に何かの神にでも救われたような感覚を得たときに、「俺って運が良いな~」と思うのではないでしょうか?

逆に、「俺は運が悪い」と思う人は、多くの選択をせず、短絡的にたった一つのことを選び、実行し、それが上手くいかないと、「俺って運が悪いな」と諦めてしまう人のことであると思います。
運とは、多くの選択の中に隠されている「成功の鍵」のような気がしています。

それは、どんなに時間をかけてでも、戦う意思さえあれば誰にでも平等に見つけることができるはずなのです。

スピード感ある現代の企業では、経営者でなくとも、ビジネスマンであれば、判断とか決断は常に必要です。
「運が良く」すばらしい決断・方向性を導く人(運を導く人?)は、決断を下すまでに、相当なチャレンジ的な経験値があり、その成功の鍵を使って導き出した「決断」にさらに苦心し、創意工夫を組み合わせているはずなのです。

もし仮に、たった1回の選択で何事も上手くいってしまったら、普通は「俺って天才!!」と自画自賛に走り、感謝の気持ちが無くなるのは当然です。
少なくとも、私はそうなるでしょう。(笑)
そのような人は、次のチャレンジの時には、今度は1回の選択で成功することはなく、すぐに「運が尽きる」ということになります。

私は、できれば「成功の鍵」を、多くの人と一緒に見つけていきたいと思います。

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