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マネーボールとは何だったか?
日本人は、細かいことが得意と言われながら、
なぜ、ビックデータ解析などの分野が弱いのかと思うことがあります。
別にデータに操られる必要はなく、
最後は人間・自分の判断をすればよいだけです。
客観的なデータ解析は、方向性を 指し示す重要な情報になりえます。
2003年に米国でアスレチックスのGM「ビリービーン」の実話が、
「マネーボール」というタイトルで発売されベストセラーになりました。
2011年にブラットピット主演で映画化もされています。
金持ち球団は、大型選手をお金で補強し、チームを作り上げていきます。
それに対し、アスレチックスの予算は、
当時最高年棒であるニューヨークヤンキースの1/3程度でした。
「不公平な環境で、チームを作り上げなければならない編成部長」であった
ビリーは、金持ち球団と同じことをしても意味がないと悟り、
違った方法で、選手を獲得する手法を作り上げます。
それは、統計学的に選手が勝利に貢献できる
最大の実績とは何かを探り出すことでした。
いくつかのチェックポイントがありますが、
最大の貢献ポイントは、「出塁率」でした。(詳細省きます)
速い球を投げる、ホームランを打てる、ヒットが打てるという選手は、
金持ち球団に入団してしまいます。
その土俵で勝負をすることは、公式戦も負けることを意味します。
早い球を投げる競争や、ホームラン競争であれば、負けますが、
野球は団体競技ですし、得点の仕方もホームランだけではありません。
いくつかの才能を一部一部発揮し、能力を適材にあてはめながら
最大限に活用すれば「公式戦に勝てる」チームを作り上げられと確信します。
その最大のポイントが「出塁率」です。
ヒットも四球も同じであるということです。
ヒットを多く打つ人は年棒も高く、
ヒットの少ない人は当然に年棒は安くなります。
しかしながら、選球眼があり四球を選ぶことができる人・・・
ヒットをより多く打つ人と同程度の出塁率であれば、
当時は安く選手を仕入れることができたのです。
そのような手法で戦った2002年、アスレチックスの選手の総額年棒は、
全体30チーム中、28位という年棒にかかわらず、
全球団最高の103勝、20連勝というアメリカンリーグの記録を打ち立てました。
(残念ながらそれでも短期決戦のワールドシリーズには出れなかった)
ビジネスの世界でも、不公平は当たり前です。
資金力の影響する人材(人財?)不足は否めません。
それでも市場は、会社の規模や人材に関係なく、
同じ市場であれば、同じ土俵・同じルールで戦わなければなりません。
広告や小売業の店舗分野で「人流分析」というものが、
流行りそうでいて、まだまだ使われていません。
私は、人流分析は小売業にPOSレジが広がったことと同じくらい
革命的な分析手法であると思っています。
その店舗、売り場、イベント、道路に人がどれだけ集まり、
その人が、どこに行き、どこで何を買ったのか?を分からなくて、
どうして分析ができるのか?見えないものに対して人は、
「心理学」的なことを言い出します。
しかしながらそのような意見は、どこまでいっても主観的です。
店舗に100人来店して10人が買い物をしたのか?
1000人来店して10人が買い物をしたのか?
実は、小売業の現場も広告主もそのことを知らないのです。
販売における効率性が分かりません。
どんな世界でも先駆者は批判を受けます。
客観データを武器に、小売業やイベントなどをけん引する
新しいイノベータを期待したいと思います。
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私は、小学生の頃から 高校、大学と野球を続けてきましたが、 まぁ~レベルの低い選手でした。 まったく打てない(笑) 野球の楽しさは色々とありますが、 選手としては、やはり、 投手として活躍するか?バッターとして活躍するかが 人を魅了するものであると思います。 その両方に才能が無く、よくまぁ~名門といわれる高校、 大学で続けたものだと思います。 野球を続けている時は、 なぜ、自分に才能が無いのかを悩みました。 「自分に140キロのボールを 投げられる能力があったなら」 「自分により遠くにボールを運ぶ バッティングの能力があったなら」 と、何度も思いました。 ただ、もっとも少し疑問に思うこともありました。 才能というのは、 そんなことは誰でもできると思っていたのですが、 より高く、広く自分の才能を開花させたい。 才能があれば、小さな組織で戦えますが、 発揮できることのほうが大事です。 |
世界に通用する最高の組織を(多くの輝きを作る)
「世界に通用する選手になれ」
と、故 石井連蔵(早稲田大学野球部の監督)は言っていました。
1984年のロサンゼルスオリンピックと、1988年のソウルオリンピックで
公開競技として野球が採用され、当時は、アマチュア選手が中心になり
オリンピックに選手が選出されました。
時代背景が少しズレたり、重なったりしますが
野茂、古田の時代から始まったアマチュアのオリンピック派遣は、
私が六大学でプレーしていた時に活躍した選手が、多く派遣されています。
巨人に行った慶応の大森剛は、大学時代にソウルオリンピックへ。
同じく慶応出身で、現在、慶応大学の監督も務めている大久保秀昭
小桧山雅仁(両氏は高校の後輩でもあった)立教の高林などは
社会人になってからバルセロナ・アトランタオリンピックなどに出場し
必ずメダルを取って日本に戻ってきてくれた。
私は、本当にどうしょうもない選手でした。
が、一緒に神宮でプレーしたした人が
そのような世界的な舞台で活躍している姿は
誇らしくもあり、口惜しさもありました。
今でこそ、このようなことを書きますが
テレビに出る「あの選手と一緒にプレーしていた」
ということは、言えなかった。
もちろん応援はしていましたけど
そんな私の下手なプライドの穴埋めが
世界に通用する組織を作ることをでした。
負けたくないというくだらないプライドだけで
そのようなことを吹聴して回ったような気がします。
残念ながら、目的に掲げるのは良いが
中身がないので、まったく身にならない。
空回りばかりです。
中身がないから、人も物もついてこれない。
特に嘘を吹聴しているつもりもないですが
何か、意味なく大きなことを言ってみたかったのでしょう。
器も組織も育っていないのに、大きなことばかりをしようとして
焦りが焦りを生み、無駄なことが多くなり
最後には回らなくなりました。
なによりも、私の目指した組織とは
何だったのでしょうか?
組織とは、何なのでしょう?
組織とは元々、弱い人間の集合体です。
生物学的に強い生物の組織は最小限で、群れません。
私が勝手に結論している組織とは
弱い人間が、自分の力を補いながら
前に進むことです。
時には、敵と戦いながらも
前に進むことです。
一人で戦えるのであれば、組織は要りません。
その組織がより大きく、より豊かになるためには
高いステージで戦い、大きな成果を上げることが必要です。
それは 一人一人の腕を正磨することが
なによりも必要になります。
「正磨」とは、私の造語で「正しく磨く」ということです。
組織とは、自分の能力を磨くことで大きく光ります。
正しく、一つ一つを磨くことで組織全体が光るようになります。
組織の輝きとは、一人一人の小さな輝きを集めたものです。
同じ色の光で輝く必要はありません。
その為には、自分が相手が、何を磨ければよいか?
お互いが何を期待しているか?を把握しあい
それを磨き上げることです。
自分で自分を正しく磨き、自ら珠玉の輝きを放つことで
組織色は、より輝き世界が注目する企業になるでしょう。
私はそういう組織を作りたい。
最近の冬は、突然に身に染みる寒さが襲ってくるので、
ゆっくり冬を感じる暇がなく、
私は頭でお正月を意識するようになりました。
テレビCMなどは、先に冬を意識した映像を撮影するので、
コタツや雪のイメージを先取りしたCMが流れていますが、
後数年するもすると「冬」は イメージや違う地域だけのものに
なるのではないかと感じてしまいます。
去年から今年に学んだことは「受け身の仕方」でした。
受け身とは、人にひっくり返されて、投げ飛ばされて、
たたきつけられること。
人前で、無残に倒されることです。人前で恥をかくことです。
できれば、もっと若い時に経験をしておきたかったのですが、
今の私に必要だったのでしょう。コテンパに、投げ飛ばされました。(笑)
ただ、柔道が最初の基礎として、受け身の練習をさせるのは、
投げ飛ばされて負ける練習をするためではありません。
どんなに危険な倒れ方をしても、致命傷を避けて、素早く立ち上がり
再度、戦いに臨むためのものです。
倒れるためだけの練習は必要ありません。
負けるだけのことに練習はいりません。
負け方の度合いも関係ありません。
どんなに大差をつけられても負けた以上は、同じ負けです。
次の試合にかけるだけです。
大きな怪我や致命傷を避けて、次の勝負にかけることです。
つまり負け方は非常に大事ということです。
人には、生まれながらの才能があります。
才能とは、他者との優劣を比較するものではなく、
各々が必ず持って生まれてくるものです。
その才能を発揮するために人は生きるのです。
すべての人は才能をもっているのです。
人は同じ尺度の中で比較をしますが、各々の才能が違います。
学校での成績が、あまり芳しくないからといって、
能力が無いとは言えないのです。野球やサッカーで才能を発揮できなくても、
まったく未知の勉強やスポーツや仕事で、その才能を出せます。
自分の才能を自分で開花させるのは、自分でルールを作り、
その道を極めることです。
「じぶんなんか~」と思い何事にもチャレンジしない人は、
自分の才能を開花させずに終わってしまいます。
縁があると思った人との出会いは大切にして、
自分の才能をより精巧に磨いていきましょう。
もちろん、思い違いもあるでしょう。大きな失敗をするかもしれません。
そんな時は、倒れる前に最善の受け身をして、
素早く立ち上がりましょう。
より多くの受け身をした人のほうが、より多くの出会いができ、
自分の才能に磨きをかけ、才能を開花できます。
2016年は、私は正しく磨いた自分の才能を発揮したいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
自分の信念と生き方を確立して、強い意識で良い選択をしたい。 周りの意見を聴きながらも、相手の意図をで観て、聴き清浄な五感で判断できるようにしたい。 身を守るための嘘をつきたく無い。嘘は、弱い人の象徴だ。 人を信じたい。心からの言葉を交わし理解をし合いたい。人の技能を受け入れたい。個々の森羅万象の能力を知りたい。可能性を知りたい。問題を探求し、予測、仮説を立てる人、仮説を吟味し、検証する人、技術を広く広める人、技術を使う側の人。目標が大きければ、仕事の技能は分散化される。そこには組織が生まれる。それは、一人で多くの技能を兼ね備えた人がいないからだ。その人を信じるのは、その技能を把握して、理解をしあうことをから始めなければならない。範疇を超えたものを期待すると人は隠れ、嘘をつき、離れる。技能の範囲であれば、人は必ず期待に応える。もしくは、期待以上の事をする 優しくなりたい。優しさとは、態度とか対応ではない。それは、自分がどう見られるかでしかない。優しさとは、親が子供の成長を期待するのと同じように、自分がどのように思われるかではなく、自分を犠牲にして、人の成長を導く事だ。人の心を成長させることだ 良い心を拡げたい。仕事は、今の社会では、すでに生きて循環の一部だ。仕事を通じて、多くの人の不安を取り除き、快適で安全な社会に貢献したい。人の心に安心が拡がることで、良い次元の目標を多くの人が産み出すはずだ。